ブラック企業で働くことについて
「いやだったら辞めればいいのでは。」
タイトルの件について、堀江貴文氏がこのような意味のことを言ったらしい。
その通りだと思う。
僕が思いつくパターンとしては
①その会社での仕事がつらくてやめたいんだけど、無職になるのもいや。
②せっかく入れたのだから、つらくても頑張る(やめるという発想がない)。
この二つ。
①のパターンは消極的ながらも「続けること」を選び取っている。「つらいけど正社員」と「解放されるけど無職」を天秤にかけて、置かれた状況から「判断」して前者を選んでいる。
だからこれが「つらいけど正社員だけど鬱になって自殺」と「解放されるけど無職」との二択になれば当然後者をえらぶ。自殺までには至らない。
冒頭の堀江氏の言葉はこの場合に適用できるのかなと。
ただ、人間追いつめられてくると自分の置かれた状況を単純化して二択もしくは三択問題に置き換えられなくなって、問題が分からないから答えも出せなくて死んじゃうとかはありそう。
②のパターンのほうが厄介(もしあるとすると)。続けることは正。やめることは悪。誰から聞かされたのか、文字で読んだのかそう信じているような人。この場合、続ける理由にこの人自身の「判断」がない。だから死ぬまで続ける。
(さらに残念なことにこの手の人は「仕事のできない人」である場合も多そう。「判断」ができない、もしくは苦手だから。言われたことだけやってればいい立場にある限り問題ないかむしろ集中してやるんだけど、「判断」して決める立場の仕事が務まらない。)
こんな人にもし自分が相談されたとしたら、
「やめていいんだよ。投げだしちゃっていいんだよ。」
と言ってあげたい。
「長く続けることはよいこと。投げだすことはダメなこと。」
こんな風潮は確かに存在すると感じる。②のパターンに陥りやすい人は風潮とか、規範とかに比較的従順に過ごしている人なのではないか。
自分が苦しいのは本当に自分だけが悪いのか。長く続けることはよい、投げだすのはダメってそれ本当なんでしょうかね。正しいことをしているのになぜそんなに苦しいんでしょうね。
いままで何でも頑張って乗り切ってきたけれど、そのやり方で乗り切れない問題に出くわした時には思い切って違うやり方‐投げだしてみる‐を試みるのも一つの方法ではないかと思います。