あの曲

メロディも歌詞もほとんど思い出せなかった曲、どんなだったかなーと思って。

覚えているのは、曲名中または歌詞中に「いばら姫」という単語が出てくること、女性でアイドルっぽい人が歌っていたこと、それだけ。

最初、宍戸留美さんの曲だったかなーとおもってwikipediaあたったんだけれどもディスコグラフィにそれらしき曲名なし。

沢城みゆきさんの曲が出てきたんだけれども、計算合わない。ただ、roseって単語出てきて、ああなんか歌詞の中にあったなーと。

結局、

「90年代 いばら姫」

で1ページ目にヒットして、無事youtubeで再会できましたとさ。

Googleで完結してすごい。というか怖い。

レジ待ちの列で

自分の前に小学校3、4年生くらいの女の子がカーネーションだけを持って並んでいた。支払いの段になって財布に必要な額が入っていないことに気づいたようだった(値札が税抜き価格表示だったからかもしれない)。結局買うのを断念して小走りに行ってしまったんだけれども、自分はあの時そっと100円出してやるべきだったのだろうか。しばらく考えて、でももうあんな劇的なシーンの当事者に自分がなることがないであろうと思ってそれ以上考えるのをやめた。

(孫)ちゃんが

 件のおもちゃ(某甲羅背負ってサングラスしたキャラクター)をすごく怖がったらしい。なんでも人形がだめで、女の子なのに雛人形も怖がるそうな。

彼女の父親(私の弟)が「持って帰る。」と言うので、それを入れた袋をなおも怖がる(孫)ちゃんに母は、「(孫)ちゃんの好きなバナナが入っているんだよ。帰ったら食べようねえ。」と「だまくらかして」(本人談)持って帰らせたと例の笑顔で言っていた。

玄関で

昨日実家の玄関を出るとき、下駄箱の上にパッケージに入ったクレーンゲームの景品がおいてあるのに気がついた。母が値打ちのあるものかもと思って、捨てられていたものを拾ってきたらしい。こんなの価値なんかないよと言うと、なにそうなの?(孫)ちゃんがみたらどんな顔するかしら、と言って母は笑った。閉じていく扉の隙間からその笑顔を見ながら、すごくいい顔をして笑う人だな、と思った。

橇と制服

例の橇のこととか、小学校の制服(「標準服」?知らんわ)のこと。

ブックマークのコメントはうなづける内容が多いんだけれども、なぜよりによってそれとはまったく異なった見識をもつ人物が決定権を持ってしまっているのか。今まで彼らの属する組織は、彼らの仕事ぶりを評価、判断して決定権の小さい立場に追いやることができなかったということだろう。日本の組織においては、その下位構成員の評価には熱心だが組織自身の意思決定にかかわる上位構成員の評価基準、評価責任の所在はあいまいで、不透明な部分が大きいように思う。もしこの考えが正しいとしても、この問題を解決できる立場の上位構成員にとって、これらの解消は自らの既得権の解消と同義であり、解決する動機がない。

間組織(企業など)間をより競争的な環境に置き、構成員への公正な評価手法をとる組織は残り、そうでない組織は組織上位構成員ごと淘汰されれば、結果的に組織のすべての上位構成員は、競争に勝ち抜く能力を持つ優れた真のエリートのみとなる。私のような下位構成員はどの組織に移動しても「おかしな」上司に出くわすことなく、競争を勝ち抜いた「正しい」評価を受けることになる。やったー。

すべての民間組織がそのようであり、すべての構成員がその仕組みの恩恵にあずかるのであれば、民間組織の構成員は自らが支出する公的サービスの供給組織にもその仕組みの導入を求めるであろう。例えば行政単位の統合(道州制)を実施すれば、既存の公的組織間はより緊張的になり、淘汰を避けるべく構成員の評価を競争的環境に適合させるであろう。

この結果、社会のすべての構成員は競争を勝ち抜いた「正しい」評価のもとに待遇・処遇を決定されるようになり、おかしなツイートや、高価な小学校の制服はなくなっていったそうな。めでたし、めでたし。